大学で留年していて、大学の勉強がさっぱり分からなかったことが、コンプレックスなんだなぁと最近思う。
大学4年生ぐらいの時に、もう一度大学に入りなおしたい、なにかを学びなおしたいと思っていた。
他大学の友人が、大学の授業について楽しそうに話す姿が眩しくて、羨ましかった。私も、興味がある学問を突き詰めたかった。
あれ?でもさ、大学受験の時には、興味があると思って受けた学部のはず。なにかしら憧れはあったはず。おかしいなぁ。
そう思うと、また大学に入ったところで、学問に夢中になることなんてできないんじゃないか、と思う。
そもそも、大学に入る前は、そこそこに勉強して、そこそこに遊びたいとも思っていた。
やっぱり、大学の授業が楽しいと話す友人の姿にコンプレックスを覚えたのだと思う。そもそも、大学時代は知り合いが今よりかはたくさんいたわけだけども、大学の授業が楽しいなんていう人はごくわずかだった。にもかかわらず、なぜこんなコンプレックスを植え付けられたのかというと、大学の授業が楽しいという話をよく聞いた友人が、ある意味で見下していた推薦入試での入学者で、会話からも基礎学力の低さが垣間見える相手だったからだと思う。推薦入試だから無条件に見下していたわけではなく(同じ高校の推薦入試合格者は成績優秀者も多かったので、勉強ができないと無条件に決めつけてみていたわけではない)、日常に必要なレベルの計算ができなくてビックリしてしまったことが原因だと思う。私自身が理系だったので、なおさら驚いてしまった。
そこで気付くわけだけど、大学ってバランスよく勉強ができる人が有利なわけではなく、特定の分野に興味を持って学び、研究するところなんだなということ。
まさに私は5科目バランスよく勉強できるタイプだったし、特定の分野に興味を持つことができないタイプだった。アカデミックなことに向いていなかったのだ。
大学に向いていないことは認めるが、大学受験でちょこっと上位な大学に食い込めてしまったプライドが捨てきれず、なにかしら上位なところにいたいと思ってしまう自分がいる。しかし、仕事もうまくいかず、どうしたらいいか分からない。私のプライドはズタボロ。
まぁ、でも、保育園・小学校の時はしっかり者キャラでブイブイ言わせていたし、中学校はいじめられていて暗黒時代だったし、高校時代は校風があっていたのか友人にも恵まれた楽しかったし、大学時代もコンプレックスはたくさんできたけど、楽しかったといえば楽しかった。
今までの人生トータルで見れば、そんなに悪くない。
これからどうしていこうか。
大学時代にサークルに入っていなくて、大学生らしい友人たちと騒ぐということができていないこともコンプレックスだし、彼氏ができなかったこともコンプレックス。
と、ここまでが下書きにあった文章。いつ頃書いたのか覚えていないが、最近再びアカデミックコンプレックスを感じる出来事があったので、投稿しちゃう。
最近、マッチングアプリを再開したのだけど、院卒の人を見ると、いいな、と加点ポイントになったりする。自分が学部卒であることや院進するほど学問を極められなかったことがコンプレックスとなり、院卒が魅力的に見えるんだと思う。恋人となる人が院卒だろうが、私の経歴の足しには何もならないのにね。
このコンプレックスを拭うには、大学の次のステージである仕事で自信を得るか、もしくはプライベートで充実する出来事で満たされるか、しなくてはいけないのかなぁと、ちょっと悩んだりしています。以上